2019年1月27日 (日)

e-Taxで確定申告

 e-Taxで医療費の還付申告をここ数年していますが、年に1回のことなので、そのセットアップにいつもてこずってしまいます。今日はその備忘録ということで
 マイナンバーカードを取得したのが2年前の画定申告の時で、それ以来、申告にはマイナンバーカードとカードリーダーが必要になるわけです。いつもそのセットアップにてこずります。私は、ソニーのパソリs-330のカードリーダーを使っておりますが、年に一回なので、デバイスのアップデートの処理をしなければならない。ソニーのフェリカのHPにとんで、新しいデバイスのアップデートはすんなりと出来ました。しかし、個人認証システムに接続しない。ネットでぐぐってみると、s-330は個人システム用に、PC/SCアクティベーター for Type Bというアプリをダウンロードしないといけないらしい。それをダウンロードして解決かと思ったら、今度は暗証番号でひっかかる。
暗証番号は2つあり、数字4桁と英数字組み合わせ6ケタ以上なのですが、英数が大文字なのですね。そこで戸惑う。それが分かると、あとは一気に完成へともっていきました。やはり、e-Taxはベンリですね。

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2019年1月17日 (木)

阪神大震災から24年

阪神大震災から、はや24年が過ぎました。東日本大震災は発生してもこの経験は決して風化していません、何故かというと、私自身が阪神大震災の被災者だったからです。。
 何故か、私も神戸には何の縁もゆかりも無かったのですが、リーマンの悲しいサガ。転勤を命じられ、神戸勤務しているさなか地震に遭遇してしまいました。 神戸勤務の間は、全くといっていいほどJには興味はありませんでした。さて、95年1月17日は、3連休明けだったと思います。前々日は、のんびりと吉川カントリーでゴルフをしていました。帰りの中国自動車道で夕焼けの色が、おかしいとかそんな会話をしていました。しかし、あんな地震が襲ってくる予兆なのかなとは、夢にも思いもよりませんでした。
 17日の午前5時46分に地震はやってきました。当時、私は兵庫県伊丹市の社宅に住んでいました。地震が起こった時は、当然寝ていましたが、気がついたのは音でした。ものすごい地鳴りが襲ってきて、その後物凄い揺れに襲われました。伊丹の社宅でしたので、最初は飛行機が墜落したのかなと思いました。その後は、何がなにか全くわからなくなりました。揺れがおさまって、一段落したところで、これは地震だったのだなとようやく気ずきました。
 しかし、しがないリーマンとしては、会社のことが心配でした。テレビを見ると、神戸市内は火事で大変なことになっておるようです。当然電車等の公共機関は止まっていたので、自家用車で神戸を目指しました。まずは、伊丹から南下して湾岸沿いのR43号を目指しました。R43号で武庫川をわたりましたが、R43号は通行不能になり、また北へ下りR2号をめざす。R43号を通行できなくなったのは当然ですよね、だって、そう上を高架で走っている阪神高速が倒壊してしまったから。後で現場を見ましたが、不謹慎ですが笑いしか起きませんでした。だって、誰が高速道路が倒壊することなど、想像できましたか? R2号も西宮を過ぎると、夙川あたりで動かなくなってしまい、一路さらに北へ。六麓荘あたりをとおり(六甲山の麓あたりは岩盤がしっかりしているようで、被害はあまり無かったようです)、なんとか元町のオフィスの到着したのは、3時ごろ。当然オフィスに到着してもやることは、何も無し。当日は、これにて解散。
 それからが、地獄でした。神戸から大阪方面へ移動できる道路はR2号だけで、そこに神戸を脱出する車が集中。翌日の朝になっても、芦屋川あたり。ガソリンを無くなってきてしまい、どうしよもなく中央分離帯の芝生地帯に車を乗り捨てることに。阪急が、西宮北口まで運転を再開したとのことで、約8キロくらい、歩って2時間くらいの距離を移動する。伊丹の社宅にたどりついたのは、翌日の午後5時でした。

 その教訓として、あのくらいの大地震が起こったら、会社に行くなんてことを考えたら駄目。まずは、家族の安全を確保して、次は地域の方々の安全の確保です。無理して、会社にいっても何もすることはありません。無理して、出勤して2次災害に遭遇する可能性もあります。絶対に無理はしてはいけません。

 また家族とも、災害が起こった時の対応について決めておく必要はありますね。当時は、携帯の出始めで固定電話も通じないが携帯は通じたという事象はおこった。携帯は、比較的楽に連絡とれた記憶がおります。しかし、現在ではそうもいかんでしょう、正月のハッピーニューイヤーで通じなくなってしまうくらいだから。
 とにかく、1社会人として、何をなさなくてはならないか。これを行動の基準にしておくべきです。会社に行くより、地域で災害にあい、救出を求めている人がいたら、まずは救出を最優先するべきです。それと、家族は一番大事にするべきです。あのような大災害が起こったら、絶対に会社なんかに出勤したらダメです。2次災害にあう危険もあるわけですから。実家の母親とは12時間近く連絡がとれず、その時のことは今でも責められます。またあの地震が2時間後だったらと思うとぞっとします。2時間後は通勤で三宮駅周辺にいましたので、まず命は無かったでしょう。

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2018年12月29日 (土)

父親の死

 最近、ブログの更新も浦和の試合も見に行くことができませんでした。原因は父親の死でした。満90歳でしたので、天寿を全うしたという言い方もできるのですが、ただ実際に親族を失うと分かってはいるが、なかなか現実としては受け入れがたいものがあるということを痛感しています。
 父親は、1年半前に肺に癌があることがわかりました。その時点では、治療法もあったのでしょうが、年も年なので治療はしないという選択をしました。父親が選んだ選択でしたので、それを尊重しました。そして、今年の9月の中旬に具合が悪くなり、がんセンターに入院することになりました。12年前にふとももの骨に癌がみつかり、その時はガンセンターで手術をしてもらい、幸いなことに転移はみつからずに、主治医からも緩解を告げられた後の、肺癌発覚でした。1度目は手術によっては癌は除去することはできたのですが、2度目は運を天に任せるつもりだったのかもしれません。
 日本の医療制度ですと、積極的に治療するならば病院に入院できるが、治療できない状態になると退院をうながされ、自宅療養になるわけです。自宅が無理ならば緩和ケアの病院に入ることになるわけです。
 父親はがんセンターに入院できたわけで、ガンセンターには緩和ケア病棟もありました。しかし、その後病状が悪化したらどうなるのか、そういうことはあまり深く考えないで、自宅の近くの病院に転院してしましました。
 そのときは、がんのステージ4の末期であることは告げられていました。余命は、「正月は迎えられるかもしれないが、来年の桜をみることはないでしょうと」ということで、家族もそれなりの覚悟はしていました。
 末期がんですと、進行を遅らす治療もないわけで、モルヒネによる痛みの緩和に移ってくるわけで、そうなると一般の病院に入院はできないことになります。緩和ケアにはいるか、自宅療養になるわけです。
父親も、10月の末に退院を促され、本人も自宅に帰りたいということで、自宅療養を選択しました。他人と同時に、在宅療養の主治医の選択、介護保険の申請、緩和ケア病院を探すをおこなったわけです。在宅療養の主治医は選択の余地があまりなく、えらんだ医者が全くひどい、自分の考えを一方的に押し付け来る、患者とその家族の立場に全然たってくれない医者でした。緩和ケア病院も自分が提携している病院を強引に押し付けてくる、だけどもベットが空いてないとなると、松戸の老人ホーム、あるいはNPO法人運営のケアハウスを紹介してくる。こちらの希望なんかまったくおかまいなしでした。そして、最初の診断で余命1か月と平気で言いやがる。実際はそうでしたが、家族のことを慮るとかそういう発想は全くないようでした。
 また介護保険を使うわけで、ケアマネジャーなるかたが選任されましたが、ケアマネの役割って何?特定の医療機関と業者の紹介者、ケアマネのなるようにしかならない」みたいな態度でこちらの思いによりそってはくれませんでした。
 結局緩和ケア病院に入るにもその医者の紹介状が必要になるわけで、なんとか家族で納得のいく緩和ケア病院を探し出し、入院の手続きをしましたが、結局はいるまでに2週間かかってしまいました。
 その間に父親の病状は悪化してゆき、肺から背骨にも転移してゆき、痛みとの闘いとなりました。モルヒネもだんだんと強いものになってゆき、最初は口から飲んでいたのですが、張り薬、座薬へと変わっていきました。薬が強くなれば痛みも和らぐわけですが、家族ともコミュニケーションも取りづらくなるわけです。自宅に帰ってきてからの2週間は本当に大変でした。私も会社を休み、母親と父親の介護しました。こうなってくと、肉体的にはもちろんのこと精神的にも非常につらいものがありました。正直言って緩和ケア病院に入院してほっとしました。
やっと入れた緩和ケア病院ですが、看護師の方々も非常に気が利く優しいかたが多い病院で安心しました。父親もリハビリも一生懸命にやっていました。しかし、入院して5日目に容体が急変、結局家族に看取られながら息をひきとりました。腎臓にも病を抱えており、最終的には腎機能が低下してしまったことが原因のようでした。
 今から思えば、癌の末期治療はどうなるのか、という予備知識が全くしてもっていなかったのでよくなかったですね。せっかくがんセンターに入院できていたわけで、そのままがんセンターの緩和ケア病棟にお世話になればよかったと思います。本人が自宅に戻りたいと言っていましたが、あれだけ体調が悪化してしまえばそれも関係ない、痛みをいかに和らげるかだと思います。もしも、もしも体調良い時があればその時外泊申請をすればよいわけで、父親の体調ばかりがきになってしまい、その周辺のことにあまり調査できなく、人任せになってしまったことが非常に心残りです。なくなって41日経ちますが、そのことが気にかかり、未だに無念の思いを引きづったままです。

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2018年10月 5日 (金)

TL40

TL40
とうとう最高レベルの、TL40に到達しました。最初は確か2年前のアウエー鹿島戦の並びの時に、暇つぶしに始めたのが最初でした。その後何故かはまってしまいました。カビゴンダッシュ、ラプラスダッシュようやりましたね。やっぱ一番は、ミニリュー狩りで不忍池に行ったことてますかね。横浜のリアルイベントは良かったです。ただし今年の横須賀はハズレでした。
今日からはレベル上げの事は気にせずマッタリとやります。サブアカウントを作るのはルール違反のようですが、やはり最近の友達システムを考えるとお得の様な気がします。実際、レイドで複数のデバイスを叩いているのが最近目につくようになりました。

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2018年9月25日 (火)

ダイソン掃除機の使用感

先日、ダイソンのハンディクリーナー、v6 triggerを購入しました。その使用感をまとめてみたいと思います。
大きさ、重さは思った以上に重くない。結構な重量感はありますが、思っていた以上に大きさもなく、パパッと使えて、そこは良いところです。
ハンディクリーナーですので、同袍されているアタッチメントなのですが、標準のブラシに布団用、スキマ用、ハードブラシというのですか、合計4個ついています。標準のブラシを使うと結構な吸引力ですじゅうたんやラグにかけると、吸い込んでいる感がハンパないです。
次に布団ですが、アタッチメントは少しちゃっちいブラシとなります。ベッドはいい使用感ですね。非常に使いやすい。布団になると吸引力が強いので、カバーを吸い込み少し使いづらい、吸引力をMAXではなく普通にするのが良いような感じですね。
次は、車ですね。車の車内清掃はなかなか綺麗にするものがないなか、ダイソンは良い。洗車場にあるクリーナーだと吸引力が弱く、全然ゴミを吸った気がしないのですが、これは綺麗になります。フロアマットのゴミも良く吸ってくれます。
非常に使いやすいし、さすがにダイソンという感じなのですが、しかしバッテリーの持続時間が余りに短い。v6ですと20分です。満タンに充電するには3時間半かかります。これではメインの掃除機にはなりませんね。最新のv10ですと1時間持つようになっているとのことです。ただ値段か最新の機種は高い。v6ですと サブ機として使用するのが良いのでしょうな。

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2018年9月19日 (水)

ダイソン購入した

ダイソンのv6triggerなるハンディークリーナーを購入しました。ダイソンの掃除機には興味がありましたが、結構お値段が高いのでなかなか購入するまでの決意には至りませんでした。
ネットを何気なく見ていると、ビックカメラ.comで連休特価と言うことで、19224円まで値下がりしていましたので、思わずポチッとしてしまいました。v6ですから最新はv10ですから、3世代前の機種と言う事で充電時間が弱いようです。充電満タンで稼働時間は20分で、満タン充電には3時間半かかるみたいです。
まあ、ハンディークリーナーとは言えダイソンが2万円以下で購入出来たのでお試しと考えて使い込んでみます。布団、車の掃除、この辺がまずはやってみたいところです。昨日商品は到着しましたが、まだ開封するまでには至っていません。今週末から使い出してみたいと思います。

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2018年9月 7日 (金)

災害が連続

西日本を襲った台風、そして昨日の北海道での大地震、平成の最後に日本は過去何年と言うような災害に連続して襲われました。
非常に嫌な予感がします。順番からすると次は関東地方?それだけはやめて下さい。せめて私が生きている間に、関東では大災害が起こらない事を祈っています。

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2018年9月 6日 (木)

北海道地震

北海道で大きな地震が起こったようです。震度6で、テレビで見る限りでは山が崩れているところがあったりと、結構やばそうな状況のようです。阪神大震災を経験したものとしては、震災後の大変さを感じいるだけです。
ところで森保ジャパンの初戦は札幌ドームでしたよね。現状では中止となる可能性が高いようですな。

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2018年9月 5日 (水)

台風一過

いやいや凄い風でしたね。昨日は台風接近ということでいつもより早く会社を脱失したのですが、台風の影響で倉庫が線路内に侵入してしまい、高崎線が動かず。たまたま、5分遅れてホームに入り、そのまま乗り込めたのでラッキーと思っていましたが、その後が大変、復旧は30分後と最初の放送があり、その後90分後に変更。埼玉県の北部からですと、迂回する方法がないので、復旧するのを待つしかない。
そうこうしていると、停止してから1時間後に電車が動き始めた。取り敢えず次の駅でまでという事でしたが、その後は順調に運転していきました。まあ、1時間の、遅れなら普通に残業していたのとほば同じ。まあ我慢の範囲内でした、
今までだと迂回路線があり、最悪バスを使えましたが、埼玉県北部からですとそういうわけにもいかない。JRが正常に動いてくれるのが何よりです。

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2018年8月29日 (水)

秋の気配

何故か急に涼しくなりましたね。今年の夏は異様な暑さ、埼玉北部勤務の私に取っては厳しい夏になりました。熊谷で日本最高気温の41.1度を記録したりとか、風が吹いているのですがそれが熱風になるとかで、外に出るのが大変なことになっていました。
その時から比べると、本当に涼しくなりました。楽になったことは確かですが、夏の終わりは何故か寂しいものですね。

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