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2018年12月

2018年12月29日 (土)

父親の死

 最近、ブログの更新も浦和の試合も見に行くことができませんでした。原因は父親の死でした。満90歳でしたので、天寿を全うしたという言い方もできるのですが、ただ実際に親族を失うと分かってはいるが、なかなか現実としては受け入れがたいものがあるということを痛感しています。
 父親は、1年半前に肺に癌があることがわかりました。その時点では、治療法もあったのでしょうが、年も年なので治療はしないという選択をしました。父親が選んだ選択でしたので、それを尊重しました。そして、今年の9月の中旬に具合が悪くなり、がんセンターに入院することになりました。12年前にふとももの骨に癌がみつかり、その時はガンセンターで手術をしてもらい、幸いなことに転移はみつからずに、主治医からも緩解を告げられた後の、肺癌発覚でした。1度目は手術によっては癌は除去することはできたのですが、2度目は運を天に任せるつもりだったのかもしれません。
 日本の医療制度ですと、積極的に治療するならば病院に入院できるが、治療できない状態になると退院をうながされ、自宅療養になるわけです。自宅が無理ならば緩和ケアの病院に入ることになるわけです。
 父親はがんセンターに入院できたわけで、ガンセンターには緩和ケア病棟もありました。しかし、その後病状が悪化したらどうなるのか、そういうことはあまり深く考えないで、自宅の近くの病院に転院してしましました。
 そのときは、がんのステージ4の末期であることは告げられていました。余命は、「正月は迎えられるかもしれないが、来年の桜をみることはないでしょうと」ということで、家族もそれなりの覚悟はしていました。
 末期がんですと、進行を遅らす治療もないわけで、モルヒネによる痛みの緩和に移ってくるわけで、そうなると一般の病院に入院はできないことになります。緩和ケアにはいるか、自宅療養になるわけです。
父親も、10月の末に退院を促され、本人も自宅に帰りたいということで、自宅療養を選択しました。他人と同時に、在宅療養の主治医の選択、介護保険の申請、緩和ケア病院を探すをおこなったわけです。在宅療養の主治医は選択の余地があまりなく、えらんだ医者が全くひどい、自分の考えを一方的に押し付け来る、患者とその家族の立場に全然たってくれない医者でした。緩和ケア病院も自分が提携している病院を強引に押し付けてくる、だけどもベットが空いてないとなると、松戸の老人ホーム、あるいはNPO法人運営のケアハウスを紹介してくる。こちらの希望なんかまったくおかまいなしでした。そして、最初の診断で余命1か月と平気で言いやがる。実際はそうでしたが、家族のことを慮るとかそういう発想は全くないようでした。
 また介護保険を使うわけで、ケアマネジャーなるかたが選任されましたが、ケアマネの役割って何?特定の医療機関と業者の紹介者、ケアマネのなるようにしかならない」みたいな態度でこちらの思いによりそってはくれませんでした。
 結局緩和ケア病院に入るにもその医者の紹介状が必要になるわけで、なんとか家族で納得のいく緩和ケア病院を探し出し、入院の手続きをしましたが、結局はいるまでに2週間かかってしまいました。
 その間に父親の病状は悪化してゆき、肺から背骨にも転移してゆき、痛みとの闘いとなりました。モルヒネもだんだんと強いものになってゆき、最初は口から飲んでいたのですが、張り薬、座薬へと変わっていきました。薬が強くなれば痛みも和らぐわけですが、家族ともコミュニケーションも取りづらくなるわけです。自宅に帰ってきてからの2週間は本当に大変でした。私も会社を休み、母親と父親の介護しました。こうなってくと、肉体的にはもちろんのこと精神的にも非常につらいものがありました。正直言って緩和ケア病院に入院してほっとしました。
やっと入れた緩和ケア病院ですが、看護師の方々も非常に気が利く優しいかたが多い病院で安心しました。父親もリハビリも一生懸命にやっていました。しかし、入院して5日目に容体が急変、結局家族に看取られながら息をひきとりました。腎臓にも病を抱えており、最終的には腎機能が低下してしまったことが原因のようでした。
 今から思えば、癌の末期治療はどうなるのか、という予備知識が全くしてもっていなかったのでよくなかったですね。せっかくがんセンターに入院できていたわけで、そのままがんセンターの緩和ケア病棟にお世話になればよかったと思います。本人が自宅に戻りたいと言っていましたが、あれだけ体調が悪化してしまえばそれも関係ない、痛みをいかに和らげるかだと思います。もしも、もしも体調良い時があればその時外泊申請をすればよいわけで、父親の体調ばかりがきになってしまい、その周辺のことにあまり調査できなく、人任せになってしまったことが非常に心残りです。なくなって41日経ちますが、そのことが気にかかり、未だに無念の思いを引きづったままです。

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