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2018年1月

2018年1月21日 (日)

松山に行ってきた

 この時期になると、南国への旅をするのが年中行事のようになってしまいました。今年は、松山へ2泊3日で行ってきました。もち、鉄板のLCCでの旅行です。
Img_2249Img_2252_2 松山到着後は、まずは道後温泉まで 、リムジンバスで移動しました。なんでも、松山は「城と温泉と文学の街」ということで、道後温泉と松山城は外せない。
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1泊目の宿は、道後温泉に取りましたが、大浴場改修中ということでヤドの温泉には入れず。その代わりに道後温泉本館の入浴券をいただきましたので、なんとなく得した気分に。
まずは、海鮮物ということで刺身定食で昼飯、晩飯は鯛めしということに相成りました。
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次は松山城へ、山之上のお城なので天守閣にあがるまでがしんどいこと。ロープウエイがあったのですが、それに気づかなかったのが敗因でした。
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眺めは最高でしたが、天守閣と二の丸とまわりギブアップ。伊予電で道後温泉にもどり、道後温泉本館で温泉にゆったりとつかりました。2階の休憩場で休み、晩飯は鯛めしといことで。
Img_2334Img_2338.
2日目はレンタカーを借りてしまなみ海道へ、ここも景色が最高。大三島を観光することに。
大三島での昼飯、食事処「大漁」という、行列必至のお店でしたが、運が良いことに待ち時間なしでは入れました。海鮮丼と鮮魚の調理したおかずを自由に取っていく方式です。オコゼのから揚げ、美味しかったのもですが、食べる部分が少なかった。煮魚の方がいい。
最終日は、坂の上ミュージアムだけしか見れず、高島屋でお土産を買い、早めに松山空港は。13:25発の成田行きに乗り、成田15:27のアクセス特急に乗ることができ、上尾着は17:19でした。車だったら後2時間は余計にかかったかな。
 
 
 

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2018年1月17日 (水)

阪神大震災から23年

阪神大震災から、はや23年が過ぎました。東日本大震災は発生してもこの経験は決して風化していません、何故かというと、私自身が阪神大震災の被災者だったからです。。
 何故か、私も神戸には何の縁もゆかりも無かったのですが、リーマンの悲しいサガ。転勤を命じられ、神戸勤務しているさなか地震に遭遇してしまいました。 神戸勤務の間は、全くといっていいほどJには興味はありませんでした。さて、95年1月17日は、3連休明けだったと思います。前々日は、のんびりと吉川カントリーでゴルフをしていました。帰りの中国自動車道で夕焼けの色が、おかしいとかそんな会話をしていました。しかし、あんな地震が襲ってくる予兆なのかなとは、夢にも思いもよりませんでした。
 17日の午前5時46分に地震はやってきました。当時、私は兵庫県伊丹市の社宅に住んでいました。地震が起こった時は、当然寝ていましたが、気がついたのは音でした。ものすごい地鳴りが襲ってきて、その後物凄い揺れに襲われました。伊丹の社宅でしたので、最初は飛行機が墜落したのかなと思いました。その後は、何がなにか全くわからなくなりました。揺れがおさまって、一段落したところで、これは地震だったのだなとようやく気ずきました。
 しかし、しがないリーマンとしては、会社のことが心配でした。テレビを見ると、神戸市内は火事で大変なことになっておるようです。当然電車等の公共機関は止まっていたので、自家用車で神戸を目指しました。まずは、伊丹から南下して湾岸沿いのR43号を目指しました。R43号で武庫川をわたりましたが、R43号は通行不能になり、また北へ下りR2号をめざす。R43号を通行できなくなったのは当然ですよね、だって、そう上を高架で走っている阪神高速が倒壊してしまったから。後で現場を見ましたが、不謹慎ですが笑いしか起きませんでした。だって、誰が高速道路が倒壊することなど、想像できましたか? R2号も西宮を過ぎると、夙川あたりで動かなくなってしまい、一路さらに北へ。六麓荘あたりをとおり(六甲山の麓あたりは岩盤がしっかりしているようで、被害はあまり無かったようです)、なんとか元町のオフィスの到着したのは、3時ごろ。当然オフィスに到着してもやることは、何も無し。当日は、これにて解散。
 それからが、地獄でした。神戸から大阪方面へ移動できる道路はR2号だけで、そこに神戸を脱出する車が集中。翌日の朝になっても、芦屋川あたり。ガソリンを無くなってきてしまい、どうしよもなく中央分離帯の芝生地帯に車を乗り捨てることに。阪急が、西宮北口まで運転を再開したとのことで、約8キロくらい、歩って2時間くらいの距離を移動する。伊丹の社宅にたどりついたのは、翌日の午後5時でした。

 

 その教訓として、あのくらいの大地震が起こったら、会社に行くなんてことを考えたら駄目。まずは、家族の安全を確保して、次は地域の方々の安全の確保です。無理して、会社にいっても何もすることはありません。無理して、出勤して2次災害に遭遇する可能性もあります。絶対に無理はしてはいけません。
 また家族とも、災害が起こった時の対応について決めておく必要はありますね。当時は、携帯の出始めで固定電話も通じないが携帯は通じたという事象はおこった。携帯は、比較的楽に連絡とれた記憶がおります。しかし、現在ではそうもいかんでしょう、正月のハッピーニューイヤーで通じなくなってしまうくらいだから。
 とにかく、1社会人として、何をなさなくてはならないか。これを行動の基準にしておくべきです。会社に行くより、地域で災害にあい、救出を求めている人がいたら、まずは救出を最優先するべきです。それと、家族は一番大事にするべきです。あのような大災害が起こったら、絶対に会社なんかに出勤したらダメです。2次災害にあう危険もあるわけですから。実家の母親とは12時間近く連絡がとれず、その時のことは今でも責められます。またあの地震が2時間後だったらと思うとぞっとします。2時間後は通勤で三宮駅周辺にいましたので、まず命は無かったでしょう。

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2018年1月 7日 (日)

清水公園でホエルコを捕まえて来た

ポケモンgo で第三世代のポケモンが投入されました。その中で気になっていたのが、クジラポケモンのホエルコです。ホエルオーに進化させるにはホエルコの飴が400個必要で、ホエルコの出現率はそう高いないのでホエルオーに進化させるには結構大変です。
そこでホエルコの巣が、野田市の清水公園になっていると言う事で行くことにしました。野田市の清水公園は鹿島遠征に行く時にとおる野田橋の近くでしだので、場所もわかりやすかったし、更に天気も穏やかでしたので行くことに。
清水公園には、駐車場が何ヶ所があるのですが、基本的には有料です。しかし、キャンプ場がある、野田総合公園駐車場ならば無料です。ホエルコが湧いているのは、野田総合公園ではなく、清水公園の方、更に清水公園の有料エリア、 キャンプ場フィールドアスレチックエリアには入場出来ず、キャンプ場入口にはポケモンgo 禁止の張り紙がありました。また、花ファンタジアも本日は休園でした。
回り方も非常に分かりやすい。駐車場からキャンプ場の道を行き、神社のとこに出て、ポニー牧場から聚楽館を下り、フィールドアスレチックの池の所へ、花ファンタジアは閉園してましたので、ここは人の動きを見て、花ファンタジアの入り口あたり湧いていれば行く、花ファンタジアの境の小川沿いに出発点に戻って来る。こんな感じで、一周約50分で湧き方の差もありますが、一周でホエルコの飴は約100個でした。パイルの実が最初はありましたが、それが切れると集まるスピードが減速でした。
4周半、約4時間で目標の雨400個の収集を完了しました。後で冒険ノートを確認しますと、獲得ポケモンは118個.歩数は11kmと言う事になりました。個体値の高いものはCPが低く、CPが高いものは個体値が低い、これはと言う個体はゲット出来ず、と言うかこれは当たり前の事で個体値の高いものを厳選させて行くことになると思いますが、ホエルオーは基本的にはジムでの置物と考えていますので、CPの高いから
ホエルコを進化させようと思いますが、これから昨日取ってきた個体を確認のうえ進化させたいと思います。

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