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2007年1月17日 (水)

阪神大震災から12年

 阪神大震災から、はや12年過ぎました。なぜか、私も神戸には何の縁もゆかりも無かったのですが、リーマンの悲しいサガ。転勤を命じられ、神戸勤務しているさなか地震に遭遇してしまいました。 神戸勤務の間は、まったくといっていいほどJには興味はありませんでした。

 さて、95年1月17日は、3連休明けだったとおもいます。前々日は、のんびりと吉川カントリーでゴルフをしていました。帰りの中国自動車道で夕焼けの色が、おかしいとかそんな会話をしていました。しかし、あんな地震が襲ってくりとは、思いもよりませんでした。

 17日の午前5時46分に地震はやってきました。当時、私は兵庫県伊丹市の社宅に住んでいました。地震が起こった時は、当然寝ていましたが、気がついたのは音でした。ものすごい地鳴りがおそってきて、その後物凄い揺れに襲われました。

 伊丹の社宅でしたので、最初は飛行機が墜落したのかなと思いました。その後は、何がなにか全くわからなくなりました。揺れがおさまって、一段落したところで、これは地震だったのだなときずきました。

 しかし、しがないリーマンとしては、会社のことが心配で、当然電車等の公共機関は止まっていたので、自家用車で神戸を目指しました。まずは、伊丹から南下してR43号を目指しました。R43号で武庫川をわたりましたが、R43号は通行不能になり、また北へ下りR2号をめざす。R43号を通行できなくなったのは当然ですよね、だって阪神高速が倒壊してしまったから。後で現場を見ましたが、不謹慎ですが笑いしか起きませんでした。だって、だれが高速道路が倒壊することなど、想像できましたか?

 R2号も西宮をすぎると、夙川あたりで動かなくなってしまい、一路さらに北へ。六麓荘あたりをとおり、なんとか元町のオフィスの到着したのは、3時ごろ。当然オフィスに到着してもやることは、何もなし。当日は、これにて解散。

 それからが、地獄でした。神戸かた大阪方面へ移動できる道路はR2号だけで、そこに神戸を脱出する車が集中。翌日の朝になっても、芦屋川あたり。ガソリンを無くなってきてしまし、どうしよもなく中央分離帯の芝生地帯に車を乗り捨てることに。

 阪急が、西宮北口まで運転を再開したとのことで、約8キロくらい、あるって2時間くらいの距離を移動する。伊丹の社宅にたどりついたのは、翌日の午後5時でした。

 その教訓として、あのくらいの大地震が起こったら、会社に行くなんてことを考えたら駄目。まずは、家族の安全を確保して、次は地域の方々の安全の確保です。無理して、会社にいっても何もすることはありません。無理して、出勤して2次災害に遭遇する可能性もあります。絶対に無理はしてはいけません。

 また家族とも、災害が起こった時の対応について決めておく必要はありますね。当時は、携帯の出始めで電話わつうじなっかたが携帯では、比較的楽に連絡とれた記憶がおります。しかし、現在ではそうもいかんでしょう、正月のハッピーニューイヤーで通じなくなってしまうくらいだから。

 とにかく、1社会人として、何をなさなくてはならないか。これを行動の基準にしておくべきです。会社にいくより、地域で災害にあい、救出を求めている人がいたら、まずは救出を最優先するべきです。

gou

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